2012年01月19日

最高裁の「君が代判決」に思う 1


戦争の精算が終わっていない

 今は農閑期なので、他のブログで書きたい記事が溢れているので、このブログで書く。君が代の最高裁判決があった。戦争をくぐった世代として、今の国歌をもっと庶民が中心の国歌にしてもらいたいと言う願いを持っている。戦争に負けたころには、この国歌を変えようとした論争が盛んであった。

  それでも戦争に負けた後の2〜3年は開放感あふれたいい時代があった。この時期の日本は、軍国主義が倒れ、とても明るい日本であった。軍隊がすべてであった時代はとても暗い時代だった。一気にこれから開放されたいい時期だった。貧しくとも希望に溢れた時代だったことを記憶している。

  アメリカの占領目的は、日本が再び軍国主義的な国にならないことが一番大事な事柄であった。ところが米ソの対立が激烈になってくると、この日本の軍国主義解体の方針が変更される。日本の再武装化である。米ソ対立でアメリカは日本の再軍備を企て、その軍事力を当てにする。

 そのアメリカの政策の変更に伴い、新しい民主国家を作る方向ではなく、昔の軍国主義時代の面影を残すような国になるように動き出す。自民党などの日本の保守勢力は国歌の変更は必要なし、現憲法は改定して憲法9条を改正し、軍隊を公然と持てるような国造りをしたいとして取り組んできた。

  その最軍備への手始めは、警察予備隊が始まりだった。これは警察であって軍隊ではないと言う始まりだった。次は保安隊として、この警察予備隊の名称を変更した。次には自衛隊に変更してゆく。これでもこれが軍隊ではないと言うことで、憲法に抵触しないと言う立場だ。




posted by 農耕民 at 00:00| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>戦争をくぐった世代として、今の国歌をもっと庶民が中心の国歌にしてもらいたいと言う願いを持っている。戦争に負けたころには、この国歌を変えようとした論争が盛んであった。

何故に「緑の山河」「我ら愛す」などの新国歌制定運動は根付かなかったのでしょう?
1950年代ですから、「開放感あふれたいい時代」と言える期間じゃないのでしょうか?

それは、当時も、そして今も、大多数の国民が「国歌をもっと庶民が中心の国歌にしてもらいたい」とは思っていなかったことの証左でありましょう。
Posted by えまのん at 2012年01月19日 16:59
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