2012年03月03日

谷口末廣さんのミンダナオ島戦争記録 25


  しばらく降りたところで、元気の無いやせた二人の兵隊が、私も連れて行って下さいと、しがみついてきた。私は5人の手前上、戦争に行くので無理だと断ったが、私自身は投降が目的だったので、後日、あの二人が一緒に投降したのか、あのまま異国の土と化してしまったのか、65年過ぎた今でも気になっている。

  山をおりだしてから2週間くらい経ったある日、堂々と白旗を掲げて降りてきた7〜8人のグループに出会った。前田兵長が「生きて虜囚の辱を受けず」と言うことを忘れたのか、撃ち殺してやると銃を構えた。グループの長らしい伍長が「ちょっと待ってください。軍曹殿はソ連が宣戦布告し、満州に侵入してきたことをご存知ですか、日本は本当に負けたのです」と言って、詳しい情報を教えてくれた。

  私は1年3ヶ月位前まで、関東軍でソ連国境の警備に当たっていたので、ソ連が参戦すれば日本がどうなるか、想像がつく。日本の敗戦は間違いないと確信した。大隊が分散した時、大隊長が示した大隊本部跡も尋ねたが、すでにもぬけの殻であった。

  あちこちの山並みから白旗を掲げて降りてくる小グループが増えてきた。しかし不思議にも第133飛行場大隊の戦友とは誰一人とも会わない。この様子だと既にわが部隊の戦友は殆どが投降し、我々だけが未投降で残されているに間違いないと思った。

  私は1日も早く説得して投降し、まず健康を元に戻さねばならないと考え、あの手この手の説得を続け、敗戦と投降の伝単を見てから、1ヶ月半後の9月末にブランゲ川を渡り、投降した。 





posted by 農耕民 at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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