2012年03月01日

谷口末廣さんのミンダナオ島戦争記録 23


 翌朝、少尉が再督促にやってきた。これ以上、お願いできないので、這ってでも出ますので、2〜3日分の芋を分けて下さいと頼んだ。少尉はよし分かったと言って部下の伍長に指示した。伍長は私に12本私に渡してくれた。内訳は一人1日1本、6人の2日分で12本ということである。少ないと思ったが、昨日、背負袋に芋を詰め、ジャングルの中に隠しておいたので我慢した。

  それぞれが2本の芋を雑嚢に入れている時、久しぶりに敵の偵察機が旋回しだした。発見されないようにジャングルの中に身を潜め様子を伺った.何時もエンジンを止めて旋回するのに、堂々としかも低空で旋回し、やがて芋畑めがけて紙片をばら撒き去った。拾ってみると、日本の降伏と投降勧告を書いた伝単(宣伝ビラ)であった。

  「日本兵の将兵に告ぐ。諸君は無益な戦争を止めよ。日本は8月15日、全面降伏し戦争は終わった。白旗を掲げて山を降りて濃い。必ず諸君を親や妻子の待つ日本に送り届ける。兵器はアメリカ兵の指示するブランゲ川の渡河点に提出しなさい」。

  私はビックリし息を呑んだ。本当かもしれない。しかし前田兵長を始め5人は、班長、これは敵さんの苦しまぎれの謀略で、だまされてはいけません。アメリカ軍が劣勢になり、日本軍が優勢になった証拠ですよ、といって逆に元気づいていた。

  私は、この芋畑を占有している少尉や兵隊の意見を聞く気にもならず、お礼を言って、未練の畑を出て行った(投降後、この芋畑についた日が8月14日、その翌日が15日、出て行った日が8月16日だったと分かった)。





posted by 農耕民 at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。